人も町も、夢をカタチに

千田通り商店街とは

会長挨拶

千田の地域環境は、学生街の色が濃かった街から現在は市内中心部へのアクセスも便利で、病院や公園などがありマンションも増え、落着いた町へと変遷しています。
平成24年6月に「千田町1丁目を中心とした商店街」から「千田通りを中心とした商店街」としてスタートしました。範囲が広がった分、今まで以上に人と人との交わりが盛んになり、会員各店が益々繁栄する商店街をめざして頑張ります。
また、広島大学本部跡地問題は継続していますが、これを注視し、前組織が付託した「広大本部跡地活用促進会」を中心に新たな街づくりを考えます。

主な商店街の活動は
1.ホームページや機関紙の発行を通した情報提供
2.会員各個店の売上応援企画
3.花と緑のプランター設置によるボランティア花壇事業
4.会員地域交流事業
などです。

千田通り商店街
会長 湊 賢一
事務局:株式会社 カキダ内
広島市中区千田町1丁目13-3
TEL(082)241-2111 FAX(082)249-0547

千田商店街の歴史

千田の街が経た道

千田町は、明治35年に広島高等師範学校、大正には高等工業、昭和4年に広島大学の前身である広島文理大学が開校されてるなど多くの学校が集い、界隈に下宿、本屋、飲食店などが立ち並び、学生の町を支え、栄えてきた。
また、広島を代表する交通手段である市内電車は大正元年に通じ、千田町に活気を与えた。
昭和20年の原爆投下により、爆心地から約1.4kmに位置する千田町一帯は全焼。翌21年からの都市計画によって道路及び区画が整備され、現在の街並みの基礎となっている。
昭和24年に各学校を基盤に新制の広島大学が発足し、千田町一帯は再び教育の町『学徒広島』として一層の賑わいをみせていった。

 
広島の悲惨な経験から、「戦争を核兵器を二度と繰り返してはならない」との思いを込めて建てられた、慰霊と祈りの像です。千田町を見守るようにたっています。

常に学校及び学生と共に歩んできた千田町であるが、昭和48年に広大の東広島移転が決定。平成3年の工学部を皮切りに平成7年に移転完了し、夜間キャンパスなど一部の学部は残されたが、人も街を大きく変化して転機を迎えた。
広大跡地の活用について論議が繰り返され、平成17年一部民間のマンション建設が決定。残りの敷地についてはまだ(平成17年時)未定であり、東千田公園として開放されている。

千田商店街今昔

昭和34年に北は鷹野橋交差点付近から広大正門前付近に至るまで(約300m)の電車通りに面した店舗を『千田町商店街』として組織をスタート。当初は非店舗加入者もあり、環境整備に力を注ぎながら学生の町特有の季節行事などで盛り上がりをみせていた。

移転が進むと共に店の遷り変わりも進み、学生ご用達のレコード店や大衆食堂など姿を消していった。 高齢を理由に貸し店舗となった場所は新しい店舗が入り、店舗の種類・形態が大きく様変わりしている。

しかし、昔を懐かしむだけでは商店街として寂れていくばかり。これを機会にこの町の良さを語り合い、新たな商店街のあり方を求めて積極的な行動を起こしている。

現在(平成17年度)、48店舗の加盟店ではそれぞれが特色ある店、心が通う店を目指してそれぞれ取り組み続けている。

千田商店街の取り組み

*千田商店街から『SENDA TOWN(せんだたうん)』へ
  かつての広大学生街から新たな賑わいを目指す決意表明。

*商店街会員による清掃、環境整備活動の実施
  街づくりを自分たちの手で行う。
それは皆、千田の町が好きだから訪れた人にも
心地よい街であって欲しいと願い、心を込めて取り組む。